熊野詣出立の地

(写真は、令和6年12月「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録20周年を記念して再現された「熊野詣 出立式」の様子)

世界遺産の参詣道
 熊野詣 出立の地に鎮まる城南宮では、「出立の儀式」を再現し、折々に行ってきました。和歌山・奈良・三重の3県に及ぶ「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、令和6年に20周年を迎えました。

熊野詣 出立の地
 今から900年以上前、城南宮の周りに城南離宮(鳥羽殿)を築いて院政を行った白河上皇は、紀伊半島の南に鎮座する熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を厚く信仰し、9度参詣しました。往復20日をこえる旅の前には、城南離宮の精進屋に7日ほど滞在、水を浴びて身を清め、お祓いを重ねて旅の無事を祈りました。出立の日の早朝、白い浄衣(じょうえ)を着、脚に脛巾(はばき)を付け、藁沓(わらくつ)を履いた上皇と女院は、改めてお祓いに臨み、先達(せんだつ)の山伏から桧の杖を受け取り出立しました。お供の貴族や陰陽師、護衛の侍を随え、鳥羽の津から船に乗って淀川を下り、渡辺の津(現 大阪市天神橋辺)に上陸しました。

大自然と向き合う祈りの旅
 遙か遠い道のり、川瀬を渡り山を越え、海風をしのぎ滝を仰ぎ、木漏れ日、月影、満天の星。都の男女に限らず、西国の病者、東国の武士、鎌倉の北条政子も熊野に詣でました。苦労を重ねるほど神仏に感応があり、ご縁が結ばれ、除病延命・抜苦(ばっく)与楽・富貴安穏・浄土往生の願いが成就すると熊野詣を繰り返す人もたくさんいました。
 上皇や女院の熊野御幸(ごこう)の回数は、鳥羽上皇21度、后の待賢門院(たいけんもんいん)12度、後白河上皇34度、後鳥羽上皇が承久の追討令までに28度、妃の修明門院 (しゅめいもんいん)は11度に達します。道中の多くの神社(王子社)や熊野三山で神事や仏事を重ね、神楽や和歌、白拍子の舞や猿楽(さるがく)、相撲を奉ることもありました。そして、熊野三山でご加護の証として梛(なぎ)の葉と宝印を授かりました。