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散策路・東コース  城南宮 ― 白河天皇陵 ― 北向山不動院 ― 鳥羽天皇陵 ― 安楽寿院 ― 近衛天皇陵 ― 竹田駅

白河天皇陵
白河天皇(1053年~1129年)は、譲位後の御所として鳥羽離宮を造営、応徳3年(1086年)に堀河天皇に皇位を譲り院政を始められました。当時の貴族の日記に「その威権は四海に満ち、天下これに帰服した」と評される程に政治の実権を掌握、また深く仏教に帰依されます。77歳で崩御になると、御遺言により、御骨は生前ここに建てられていた三重塔の下に移し納められました。この三重塔は建長元年(1249年)に焼失、現在は木々に覆われ、鳥居が設けられています。正式名称を、白河天皇成菩提院陵と言います。
西行寺跡
西行(1118年~1190年)は、俗名を佐藤義清(のりきよ)と言い、北面の武士として鳥羽上皇に仕え、弓馬の技ばかりか和歌にも蹴鞠にも秀でていました。若くして出家し西行と名乗り、旅を重ね多くの和歌を残しました。ここは彼の屋敷跡を寺に改めたと伝えられ、江戸時代の『都名所図会』の挿絵に、草庵や月見の池、剃髪塔も描かれていますが、今は地蔵堂だけが残っています。
北向山不動院(天台宗・単立寺院)
大治5年(1130年)、興教大師が鳥羽天皇の病気平癒を祈願した際に不動明王が出現して治癒したことから、勅願寺として開山されました。また『兵範記』は、藤原忠実が久寿2年(1155年)に、「鳥羽安鎮の為」に不動堂を建立したと記しています。本尊の不動明王(重要文化財)は仏師康助の作で秘仏。鳥羽天皇が生誕された1月16日に毎年行われる護摩供の時のみ開扉されます。また鐘楼の梵鐘は、元禄7年(1694年)、京の釜師・名越浄味によって鋳造されました。
鳥羽天皇陵
鳥羽天皇(1103年~1156年)は堀河天皇の第一皇子で、5歳で即位されます。やがて白河上皇の後をうけて院政を敷き、鳥羽離宮を整備、勝光明院や安楽寿院を建立されました。そして保元元年(1156年)、東殿の安楽寿院御所で崩御されると、御遺言のままに、御遺骸は生前ここに建てられていた三重塔の須弥壇の下に納められました。この三重塔は永仁4年(1296年)に焼失、現在は幕末に建てられた宝形造の御堂が建ち、鳥羽天皇安楽寿院陵と呼ばれています。
安楽寿院(新義真言宗智山派)
保延3年(1137年)に、鳥羽上皇によって鳥羽離宮の東殿に供養された鳥羽御堂が安楽寿院の始まりです。その2年後、上皇は自分の墓所として三重塔(本御塔)を建て、胸に卍を記した阿弥陀如来座像(重要文化財)を本尊としました。上皇の追善法要を司る安楽寿院には日本各地の荘園が寄進され、皇女の八条院暲子(近衛天皇の姉)に引き継がれて八条院領と称され、皇室(大覚寺統)の経済的基盤になりました。境内にある平安時代後期の釈迦三尊と薬師三尊の石仏は拝観することができます。
近衛天皇陵
近衛天皇(1139年~1155年)は鳥羽天皇の皇子で、異母兄の崇徳天皇に代わって5歳で即位、17歳で崩御されます。そして火葬から8年後、御骨は鳥羽離宮の東殿の多宝塔(二層の塔)に納められ、陵墓と定められました。この多宝塔は慶長元年(1596年)の伏見大地震で倒壊、現在の多宝塔(総高23.1m)は慶長11年(1606年)に豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建した塔で、歴代天皇の御陵に残る唯一の塔で貴重です。正式名称は、近衛天皇安楽寿院南陵です。

散策路・西コース  城南宮 ― 鳥羽離宮跡公園 ― 秋の山 ― 鳥羽伏見の戦い跡石碑

鳥羽離宮跡公園
白河天皇が譲位後の御所として応徳3年(1086年)に造営した鳥羽離宮(鳥羽殿、城南離宮)の南殿の跡に位置し、離宮は鳥羽上皇に受け継がれ、東西約1.7キロ、南北約1.1キロに及び、東北の端は竹田駅の南付近に相当します。大きな池が広がり、南殿・北殿・馬場殿・泉殿・東殿・田中殿などの御所に加えて証金剛院・成菩提院などの御堂や御陵が造営されます。また御倉や仏所などの諸施設、貴族の邸宅や人々の家が次々に建てられる様子は「都遷りの如し」と称される程で、政治・流通・文化の中心となって賑わいました。御所は1300年頃まで用いられましたが、やがて離宮は南北朝の戦乱に巻き込まれてしまいます。
秋の山
鳥羽離宮跡公園内の北側に位置する築山は「秋の山」と呼ばれ、『平家物語』にも登場します。山上には、明治45年に建立された、鳥羽伏見の戦いや鳥羽離宮の栄華を顕彰する大きな石碑が立っています。また秋の山の南東の麓に、鳥羽伏見の戦いの両軍の布陣図があります。
鳥羽伏見の戦い跡石碑
慶応4年(1868年)正月3日、この石碑と、城南宮の西の鳥居に至る参道(現、城南宮道)に薩摩の軍勢は4門の大砲を据え、都に入ろうと北上する旧幕府軍を迎え撃ちました。夕闇迫り、旧幕府軍が強行突破しようとするや、城南宮の参道の大砲が火を噴き鳥羽の戦が始まります。やがて伏見でも戦火を交え激戦が繰り広げられました。2日後、錦の御旗が翻って新政府軍が勝利し、明治維新を迎えます。ここ鳥羽の地から新しい時代が始まったのです。