摂社・末社

境内にある小さなお社は摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)といいます。摂社、末社も本社に附属する神社ですが、現在では特に両者を区分する規定はなく、本社の管理のもとにある小規模神社の呼称として用いられています。特に本社との由緒の深い神社には摂社の呼称が用いられています。

三照宮社(さんしょうぐうしゃ)

ご祭神 天照大御神
 城南宮の朱の鳥居の南側、石段を登った丘の上に三照宮社はお鎮まりになっています。天照大御神をお祀りし、ご神紋の「三光の紋」は、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根の棟にも見ることが出来、「三光社」と記した江戸時代の境内図も伝わります。城南宮の氏子地域は、伏見区内の中島・下鳥羽・竹田、南区内の塔ノ森・上鳥羽まで及びますが、三照宮社は上鳥羽の人々の信仰が厚く、石の鳥居や石燈籠が寄進されています。


芹川天満宮(せりかわてんまんぐう)

ご祭神 菅原道真公
 天永2年(1111年)に城南宮の南の芹川の地に勧請されたと伝えられています。学問や和歌の神様である菅原道真をお祀りすると崇められ、幕末に京都や伏見の人々が石の鳥居や多数の和歌を奉納しており、広範な信仰が伺えます。そして大正時代の初めに現在地に遷座されました。社号を記した石柱に「唐渡(からわたり)天満宮」とあるのは、鎌倉時代に禅宗の僧侶の間に起った、菅原道真が宋に渡り禅を修めたという渡唐(ととう)天神の信仰を物語っています。学業成就・留学成功の神様です。

真幡寸神社(まはたきじんじゃ)

ご祭神 真幡寸大神、応神天皇
 『日本紀略』弘仁7年(816年)7月21日条に「真幡寸神、官社の列に預る」と、また『延喜式』の神名帳にも記され、霊験あらたかで朝廷からお供え物があったことが知られます。ご神紋が徳川家と同じ「三葉葵」であることから、江戸幕府より照会があり、由緒を奉行所に回答した文書が伝わります。真幡寸大神と応神天皇をお祀りし、竹田地区の氏子の信仰が厚く、石の社号標や石灯籠が寄進されています。


飛鳥田神社(あすかたじんじゃ)

ご祭神 荷田龍頭田の遠祖の霊
 城南宮の境外摂社で、南南西に800メートルほど離れた伏見区下鳥羽城ノ越町にお鎮まりになっています。『延喜式』の神名帳に神社名を見ることが出来、江戸時代の文書に、「荷田龍頭田(かだのりゅうとうだ、龍頭太とも書く、荷田龍頭のこと)の田に、祖先の霊が白い鳥となり稲の実を口に含んで飛来した。そこで祖先の霊を祀り飛鳥田神社と名付けた。真幡寸神社と同じく弘仁7年(816年)に官社に昇格したが、神社の一帯に東福寺が建立されることになり、延応元年(1239年)に今の地に遷られた」とあります。

末社