主な草花の“花ごよみ”です。期間は天候により異なる年がありますので、お出掛けの際はお尋ねください。


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以下の草花の説明は、『源氏物語の庭 草木の栞』(神苑出入口にて販売中)を参考にし、『源氏物語』の引用は、『谷崎潤一郎新釈 源氏物語』(中央公論社)によります。
*日付は、掲載写真の撮影日です。

源氏物語 縁の草木の配置案内略図を印刷する場合は、こちらをご利用ください。
- しだれ桜(4月4日)
サトザクラ 里桜 ばら科
山吹などが快げに咲き亂れてゐますのを見給うても、直ぐもう涙が誘はれるやうにおなりになります。ほかの花は、一重の桜が咲き散って八重が咲き、八重の盛りが過ぎて樺桜(かばざくら)が開き、云々(『源氏物語』幻 まぼろしの巻)
- 源平枝垂れ桃(4月6日)
モモ 桃 ばら科
9月になって、桃園の御所にお引き移りなされた由をお聞きになりますと、女五宮(をんなごのみや)がそちらにおいでになりますので、そのお見舞いにかこつけてお渡りになります。云々(『源氏物語』槿 あさがほの巻)
桃の実は、古事記に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)と命名されるなど霊力をもつと信じられていました。江戸時代から栽培記録が多くなり、伏見城の跡地に植えられた桃は名高く、桃山という地名の由来となりました。
- しだれ桜(4月13日)
- 山吹(4月17日)
ヤマブキ 山吹 ばら科
秋好中宮方の女房一
風吹けば波の花さへ色みえて
こや名に立てる山吹のさき
同 女房二
春の池や井手の川瀬に通ふらん
きしのやまぶき底もにほへる
(『源氏物語』胡蝶 こてふの巻)
- 一位(4月26日)
イチイ 一位 いちい科
「かう云ふ退屈な時を紛らす慰みには、これが一番よいであろう」と仰せなされて、碁盤を召し寄せて、お相手をお命じになります。云々(『源氏物語』宿木 やどりぎの巻)
碁盤の材にはイチイやカヤ、トチノキ等が用いられます。
- 双葉葵(4月26日)
フタバアオイ 双葉葵 うまのすずくさ科
洒落た扇の端を折りまして、
源典侍(げんのないしのすけ)
はかなしや人のかざせるあふひゆゑ
神のゆるしのけふを待ちける
源氏
かざしける心ぞ徒(あだ)に思ほゆる
八十氏人(やそうじびと)になべてあふひを
(『源氏物語』葵 あふひの巻)
「あふひ」に「葵」と「逢う日」をかけています。上の和歌で詠まれた賀茂社の葵祭の「葵」は、フタバアオイのことです。- 藤(4月29日)
フジ 藤 まめ科
お前の藤の花が大層面白く咲き乱れてゐますのが、云々
おん文には、
内大臣(雲居雁の父)
わが宿の藤の色こきたそがれに
たづねやは来ぬ春のなごりを
(『源氏物語』藤裏葉 ふぢのうらはの巻)
- 躑躅(4月30日)
サツキツツジ 五月 つつじ科
南東は山を高くして、春の花の樹を限りなく植え、池の様子も一段と面白く、お前に近い前栽に、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などやうな春の見物を専ら植えて、云々
(『源氏物語』乙女 おとめの巻)
- 浅葱(5月17日)
アサツキ 浅葱 ゆり科
浅葱の袍をお召しになされて還り殿上なさいますのを、大宮がひどく御不満にお感じなされましたのも、いかさまお道理で、お可哀さうなのでした。云々
(『源氏物語』乙女 おとめの巻)
アサツキは、平安時代には大切な食用野草でした。山野に自生し、また蔬菜(そさい)として栽培される多年生草本です。
- 文目(5月17日)
アヤメ 文目 あやめ科
此の世の人が染め出したとは思へない程なので、いつもと同じ色の衣装の文目も、今日は珍しく、薫りの高いお袖の匂なども、云々(『源氏物語』螢 ほたるの巻)
- なでしこ(6月3日)
ナデシコ 撫子 なでしこ科
源氏
撫子のとこなつかしき色を見ば
もとのかきねを人やたづねん
(『源氏物語』常夏 とこなつの巻)
巻名の「常夏(とこなつ)」の語は、晩春から初秋にわたって咲くナデシコの別名です。ナデシコの内、日本原産のカワラナデシコ(河原撫子)を中国から渡来した石竹(せきちく・唐撫子)に対して大和撫子とも呼びます。大和撫子は唐撫子に比べて花弁の先が細かく裂けてしとやかな感じで、この大和
撫子という言葉は転じて日本的美女の形容詞となったのです。- みくり(6月8日)
ミクリ 三稜 みくり科
源氏
知らずとも尋ねて知らんみしま江に
おふる三稜(みくり)のすぢはたえじを
玉鬘
數ならぬみくりや何のすぢなれば
うきにしもかくねをとゞめけん
(『源氏物語』玉鬘 たまかづらの巻)- ささゆり(6月8日)
ササユリ 笹百合 ゆり科
「あはましものをさゆりばの」と、「高砂」が終つたところで、云々
竹河 たけかはの巻
少将の君も綺麗な声で「さきくさ」と謡ひます。云々
(『源氏物語』賢木 さかきの巻)
- 桔梗(6月28日)
キキョウ 桔梗 ききょう科
垣根のあたりに植ゑてあります撫子もおもしろく、女郎花、桔梗なども咲き初めてゐるのでしたが、色々の狩衣姿の若い男共を大勢連れて、云々(『源氏物語』手習 てならひの巻)
キキョウは、古く『出雲風土記』にも見え、古来から観賞用や薬用として栽培されています。
- 酸漿(7月27日)
ホオズキ 酸漿 なす科
自ら微笑んでいらっしゃいますのが、大層美しいお顔つき、色つやなのです。酸漿とか云るものゝやうにふっくらとしてゐまして、髪の隙間々々から見える肌のなまめかしさ。云々
(『源氏物語』野分 のわきの巻)
和名のホオズキは、その茎によくホオ(カメムシ類の方言)という昆虫がつくことに由来するとも言われています。
- 蓮(7月27日)
ハス 蓮 すいれん科
「せめて後の世には、同じ蓮の上に宿って、隔てなく暮すものと思し召し下さい」と、お泣きになるのでした。
源氏
はちす葉を同じ臺(うてな)と契りおきて
露のわかるゝけふぞかなしき
(『源氏物語』鈴虫 すゞむしの巻)
- 真竹(7月28日)
マダケ 真竹 いね科
お前に近い呉竹(くれたけ)が、たいそう若々しく伸びて戦(そよ)いでゐる姿に心惹かれて、お立ち止まりになりまして、
源氏
ませのうちに根深く植えし竹の子の
おのがよゝにや生(お)い分(わか)るべき
(『源氏物語』胡蝶 こてふの巻)- 女郎花(9月2日)
オミナエシ 女郎花 おみなえし科
一条御息所
女郎花しをるゝ野邊をいづことて
ひと夜ばかりのやどをかりけん
(『源氏物語』夕霧 ゆふぎりの巻)
- 萩(10月2日)
ハギ 萩 まめ科
紫の上
おくと見る程ぞはかなきともすれば
かぜにみだるゝ萩のうはつゆ
(『源氏物語』御法 みのりの巻)
- 吾木香(9月29日)
ワレモコウ 吾木香 ばら科
老いを忘れる菊、衰へて行く藤袴、見ばえのしない吾木香などを、すっかり色香が褪せてしまふ霜枯れの頃までも珍重なさると云ふ風に殊更めかしく、匂を愛でると云うことを、云々
(『源氏物語』匂宮 にほふみやの巻)
- ひかげのかずら(10月7日)
ヒカゲノカズラ 日蔭の蔓 ひかげのかつら科
筑紫の五節
かけていへば今日の事とぞ思ほゆる
日かげの霜のそでにとけしも
(『源氏物語』乙女 おとめの巻)
- 紫式部(10月7日)
ムラサキシキブ 紫式部 くまづづら科
ムラサキシキブという植物自体は、『源氏物語』には登場しませんが、物語の作者の紫式部の名を負う植物であるのでとりあげます。藤原道長の娘、一条天皇の中宮彰子(しょうし)に仕える女房であった藤式部は物語中の多くの人物を植物の名をもって命名し、特に女性の美しさを花をかりて表現しました。なかでも光源氏の妻紫の上に力を入れて書きあげていることから、『源氏物語』は、はじめ『紫の物語』とも呼ばれ、そして作者は紫式部と呼ばれることとなったのです。
- 紫苑(10月7日)
シオン 紫苑 きく科
紫苑や撫子の濃い色や薄い色の袙(あこめ)に、女郎花の汗衫(かざみ)などのやうな時候に合った身なりをしまして、(中略)御殿の方から吹いて来る追風は、紫苑の花までが悉く匂ふやうな薫りがしますのも、云々
(『源氏物語』野分 のわきの巻)
- 藤袴(10月9日)
フジバカマ 藤袴 きく科
蘭の花の面白く咲いてゐるのを持っていらっしゃいましたのを、御簾の端から挿し入れて、(中略)
夕霧
おなじ野のつゆにやつるゝ藤袴
あはれはかけよかごとばかりも
(『源氏物語』藤袴 ふじばかまの巻)
藤袴は乾燥すると良い香りがします。平安時代には、藤袴の乾燥物を部屋の隅に置いて、その香りを香木のように賞し、蘭と称したのです。しかし、この蘭の文字は、後の世にラン
科植物にすり変えられました。
- クチナシ(11月11日)
クチナシ 梔子 あかね科
空蝉の尼君には、青鈍(あおにぶ)の織物のたいそう趣の深いのをお見つけになりまして、御自分のお召料の中から、梔(くちなし)の御衣(おんぞ)に聴色(ゆるしいろ)のをお添えになって、云々(『源氏物語』玉鬘 たまかづらの巻)
和名のクチナシは、果実が裂開しないから口無しの意味で、下学集に「無口」と記されたのが始まりです。
- つわぶき(11月11日)
- イロハモミジ(11月30日)
イロハカエデ いろはかえで かえで科
春宮(たうぐう)は源氏の紅葉の賀の舞を思し出でられ、挿頭(かざし)の花を下し置かれて、切に御所望遊ばしますので、云々(『源氏物語』花宴 はなのえんの巻)
紅葉の現象は、秋になり、葉の中の物質が茎に移動できなくなると、葉に蓄積したブドウ糖が紫外線を受けてアントシアニンという赤い色素にかわり、葉が鮮やかな赤色になります。
- 城南椿(3月14日)
ヤブツバキ 薮椿 つばき科
つぎつぎの殿上人は、縁側に円座を敷いておすわりになり、椿餅(つばきもちひ)、梨、柑子のやうなものを、いろいろに、箱の蓋などに交ぜて盛ってありますのを、若い方々は戯れながら取って食べます。云々(『源氏物語』若菜上 わかなの巻)
『嬉遊笑覧』の記載によると、寛永年間の1624年頃から椿栽培が行われた。ツバキの花は首から落ちるので、武家では嫌ったが、僧侶は好んで栽培した。
- 紅梅・白梅(3月16日)
うめ 梅 ばら科
心葉(こころば)は、紺瑠璃の方には五葉の松の枝、白瑠璃の方には白梅(しらうめ)の枝が選んでありまして、云々
槿前斎院(あさがほのぜんさいいん)
花の香は散りにし枝にとまらねど
うつらん袖に浅くしまめや
源氏
花の枝にいとゞ心をしむるかな
人のとがめん香をばつゝめど
(『源氏物語』梅枝 うめがえの巻)
